2022 01 03

幼いころに数回だけ訪れたことのある場所を大人になってから再訪すると、イメージよりもかなり小さく感じる。

 

もしくはそれと同様の理屈で、ある地点からある地点までの道のりが短く感じる。

 

これらは本人の成長と共に行動制限や視野が広まったことに拠るものであるが、多くの人にとって共通認識となり得るため、あるあるネタとしてしばしば用いられている。

 

 

この現象を仮に「世界の相対的狭小化現象(略:狭小化現象)」とでも名付けるとしよう。

 

 

 

 

ぼくはこの狭小化現象について、ゲーム世界でも存在し得ると感じている。

個人的に顕著なのが初代ピクミンだ。

 

 

ザックリ説明すると、初代ピクミンはいくつかの箱庭型のステージでピクミンを連れ回しながら、ステージ内の各地に点在しているアイテムを拠点へ回収することが目標のゲーム。

 

 

もうお察しだろうが、この箱庭型エリアの体感的な広さについて、当時小学生だったぼくと現在のぼくの間で狭小化が発生している。

 

 

それは単純に、拠点から離れたエリア端のアイテムになるにつれ、そこに至るまでの道のりの険しさ、たどり着いた後の回収に要する技術が増すことに起因している。

 

幼少期の技術ではなかなか辿り着くことも出来ず、幼心ながらに「いまの自分ではあの領域に達することが不可能だ」と悟っていた地点でも、現在のぼくならばそう苦難することなくたどり着くことが出来てしまうためである。

 

 

先述の現実世界における狭小化とは少し違った要因ではあるが、大人になったことを実感した際の寂しさは、現実でもゲームでも変わらなかったことを強く覚えている。

 

 

書いているうちに何を言いたかったのか忘れてしまったが、要するにピクミンって人生だな。

 

 

 

 

 

と、ここまで書いてふと思ったのだが、今を生きる子供がゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドをプレイしている事実、あまりにも危険すぎないだろうか。

 

子供が生きる世界としては、あまりにも、あまりにも広すぎる。

 

僕がいま抱いている焦燥感は、自分の子供がやんちゃをして、本来の行動制限エリアを突破した先の大きなショッピングモールに遊びに行ったことを、友達のお母さんから知らされた時のソレと全く同じに違いない。

 

 

全国のお母さん、お父さんへ。

お子さんがゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドをプレイしている時は、決して目を離さず、迷子にならないように手を繋いでいてあげてくださいね。