2022 09 20

僕が幸せアピールをするのは「自分の幸福度の高さを元手にして、誰かの不幸を心の底からバカにしてやりたい」とか「自分自身の幸福度に関しては圧倒的な自信があるけど、たまには誰かに認めて欲しい」といった様々なエゴイズムのブレンドからドリップして産まれたものだと思っていた。

 

ただ、もしかするとそれだけではなくて「最近寿命を意識しすぎて死への準備みたいなものが身体の中で進み、自分が生きた証をどこかに残しておきたくなっている」可能性がある気がしてきた。

 

理由は、以下の文章を先程書いたからである。

 

 

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無限に言うのだけれど、自分はあまりにも幸せだと思う。

 

たぶんどこかでツケが来る。

老後も迎えられずに酷い死に方をするとか。

 

 

 

障害を持たず産まれ、マトモな教育を受け、人生を掛けて没頭できるひとつの趣味を子供の時から持っている。

 

欠片の努力もせずに大人になったのに、むしろ遊ぶ時間はどんどん増えるばかりで、それなのにマトモな衣食住を持ち、日々の不安やストレスなんてほとんどない。

 

毎日少しの時間だけ働き、酷い時は1日中を遊び呆けている。

それでも、会社には(何故か)一定の評価を貰っているおかげで、職に就いているという社会的安定を得ることが出来ている。

 

こんなゴミみたいな生活で、性格も終わっているのに、人間関係で孤立していない。

 

 

もう何もいらない。マジで。これ以上のことは無い。

とにかく、たくさんの時間を遊べればそれでいい。

 

 

いや、嘘だな。ペットを飼いたいです。

 

動物がそばに居てくれれば、それは僕の人生の最高潮。

それは目標地点だったり、終着点とも言えるかもしれない。

 

 

あとは、シラフにも関わらずこんな自分語りの最高峰みたいな文章を書く性格をどうにかしたいような気もします。

まぁいいか。たぶん死んでも治らないし。

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この調子である。

1週間前にも幸せアピールをしたばかりなんだぞ。

さすがに普通じゃない。

幸せマウントなんて言葉には収まらない、恐ろしい勢いがある。

 

 

もうすぐ死ぬのだろうか。

 

 

おれは。